名刺を持ってパン屋さんへ

雨の中、名刺を持ってパン屋へ行った。

 

11連勤真っ最中、勤務開始時間の4時間も前に先輩と一緒に名刺を持ってパン屋へ行った。

自分が担当しているSNSのフォトコンテストイベントを偶然パン屋でアルバイトをしている女性が見つけてくれて、イベントの内容をパン屋の社長に教えたら、その社長がやる気になって参加してくれた。軽く参加してみる、程度ではなく、がっつりと、それはもうすごい飾りパンを作ってSNSに投稿してくれた。

前からホテルのSNSとは相互でフォローし合っているが、直接関係を持ったことはないパン屋だった。なので、これを機に繋がりを持ってなにか一緒にできないか、ということでイベント参加の御礼と最初の挨拶へ行った。

そのパン屋へ行くのは人生で2回目。最初に行ったのはもう8年も前になる。

 

「パン屋さん巡りが趣味で、パンが好きすぎてまわりの友達とパン屋さん巡りをするミニサークルを作ったんです!」

と、彼女は得意げに話してくれた。

そんな彼女が特に好きなパン屋さんがあるから、と連れて行ってくれたのがそのパン屋さんだ。トトロのパンを買って、目の前にある公園で、なんにもない、平日の昼を過ごした。ベンチに座り、パンを食べ終え、ウトウトしだした彼女を見つめたり、すっかり寝てしまった彼女の寝顔を横目で見たり、なんだか恥ずかしくなって、目を逸らしたりした。

起きて一言目に彼女は「パン、美味しかったね」と幸せそうな顔で微笑んでいた。その時僕は、顔を赤くしながら言わなくてもいいような軽口を叩いたと思う。

僕は、いまだにこの魔法が解けていない。

 

8年後、名刺を持って、同じパン屋に行った。隣にいるのは彼女ではなく、会社の先輩。11連勤で心身ともに疲弊し過ぎてしまった僕は、ほぼすべてを先輩に任せて、ただ横にいるだけの人間になりきった。

雨に濡れながらホテルに戻り、上司への報告を済ませ、ホテルスタッフに、とお土産で買っていったパンをみんなに配り終えた僕は、その後黙々と21時間働き続けた。

期待していたような、あるいは不安になっていたようなセンチメンタルにはなりきれず、そのことについて何か思っても、すぐに生活の中に消えていってしまった。

あとから想うことは色々ある。だからこうして、久しぶりの休日に、数年ぶりに文章を書いている。

 

魔法は続いていく。が、その魔法は、今の生活の中にはうまく溶け込めないでいる、のかもしれない。