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2016年夏祭り

日常の思想

2016年の夏、8月7日に市川三郷町の花火大会に行ってきた。数ヶ月前からぼくは「青春がしたい。ぼくはまだ若いんだ。若いから若いことをするのは恥ずかしくないんだ。」と言い、2016年の夏を満喫することにした。その夏のメインイベントとして、「女の子と夏祭りに行く」というのがあった。考えてみれば2015年の夏はひたすらに彼女の、すどうさんの答えを待ち続ける夏だった。答えが返ってこない限りはぼくは待ち続けるしかなく、約1ヶ月半もの間毎晩のように不安で泣いていた。それでも自分にとって良い答えが欲しくて、我慢して我慢して我慢して待ち続けた。だけど待ち続けた先にぼくが期待していた答えは返ってこなかった。それから1年もの間、ぼくは狂ったように彼女のことを思いだしては泣いていた。この1年の間に付き合った女の子もいた。だけどぼくの中にいる彼女のことを消し去ることはできない。2015年夏からそんな日々を過ごしていたのだけれど、そんな自分にも嫌気がさす。「彼女のことを忘れることはできない=今を楽しむことはできない」では決してないはずだ。2016年夏のロマンスを期待して、新たな自分に成長することに期待して、女の子と花火大会に行ってきた。電車で40分くらい、駅に着いてから10分くらい歩いて、会場に着いた。それまでの間、ぼくは心の底から純粋にこの瞬間を、2度と戻らないであろうこの瞬間を楽しんでいた。女の子ともいい感じ。女の子のお腹が空いたということなので、焼きそばを食べようと屋台の列に並ぶ。いろいろな話をしつつ、列が動くのを待っていると女の子がぼくに小声でつぶやく。「すどうさんが……すどうさんがいるよ……」振り返ったらそこには彼氏と仲良く一緒に列に並んでいるすどうさんがいた。びっくりするくらい頭が真っ白になって、ぼくはひたすら逃げた。今日を乗り越えれば、ぼくはすどうさんとの思い出を乗り越えられるはずだった。でも会ってしまった。今日だけは、今日だけはほんとうに会いたくなかった。あれだけ会いたいと願っても会えず、ぼくが乗り越えようとすると現れる。ぼくはすどうさんを乗り越えることはできない。成長することはできない。結局ぼくはこれからもすどうさんに苦しめられるのだろう。それも、気持ちよくない、美しくない形で。